なぜ渇水月と豊水月を比べるのか?

渇水月でも豊水月と同じくらい雲があることを言いたい。雲が多いということができると、渇水月でも多くの雨を降らせることができるかもしれない。
←有効雲が同じくらいあったから、何が言えるのか?大きな雨を降らせている雲は別ではないか?
たとえば豊水月では渇水月に比べて有効雲が少ないならば、有効雲が発達して大きな雨を降らせたといえるかもしれない。
(雨滴の粒径分布変化モード2)
あるいは、豊水月では渇水月に比べて有効雲が多いならば、場(総観場あるいは惑星規模場)として雲を作りやすい環境にあったので雲がたくさんできたといえるかもしれない。
(雨滴の粒径分布変化モード1)


しかし、降水量を決めているのは背の高い雲である。したがって、有効雲があってもそこから得られる降水量は大したことがないのではないか?←雨を作ることが大切。雨を作るのは難しい。

#できるだけシンプルに。有効雲が多いと、種まきのチャンスが多い。定量的にどのくらい水が得られるかはわからないが、チャンスが多いというのは、水がほしい時にはうれしい(desirable)。

■なぜ雨のある雲と雨の無い雲を比べるか?
正しくは「雨のある雲」と「雨のある雲・雨の無い雲を合わせた場合」。
前者は「きっと有効雲であろう雲」後者は「有効雲かもしれない雲」。probableとpossible。