ブライトバンド最初の観測atlas

ライトバンドが最初に観測記述されたのは、Rydeによる1946の論文である。その論文では、イギリスの技術者とカナダの技術者にすでに行われていた観測について述べている。【太字はkoshida。これが、イギリス(by Ryde)とカナダ(by Marshall)で平行して観測されたということか、MarshallとPalmerのことなのか?】
ライトバンドに関する(ブライトバンドを対象とした)最初の文献は1947
考え方として、前者(英国とカナダで平行して観測が実施された)ということであろう。
イギリス:
p54;ワトソン-ワットは1936年にレーダを発明した。戦争が起こり、GE社【GECと記述する方が適当か?】で1940年6月にS帯のレーダシステムが開発され、同年8月にイギリス南部の沿岸にある都市、Swanage【スワネージ】に設置された。最初の降水エコーの記録がいつであるかは定かでないが、GECのレーダはRydeの理論どおりに降水エコーを観測していたと考えられる。

戦時中は降水エコーは、敵機の探知を妨げるものとして、異常伝播・エコー消失としてかなり調査が進んでいた。これらの研究は主に通信研究工場(http://en.wikipedia.org/wiki/Telecommunications_Research_Establishment)で行われた。レーダによる降水観測は、Rydeによって理論的にまとめられており、
p55;Rydeはたぶん1945までにブライトバンドに気がついていた。戦後まもなく、HooperとKippax(1950)によって、Rydeの理論を検証する観測が進められ、融解層では雨の5から9倍の反射があることを見つけている(定量観測)。さらに、彼らは融解層より上部にエコーの強いところがあり、融解層のエコーを強化すること(ストリークライン)を見つけていたが初期のレーダでは上空の観測が十分にできていなかった。
ストリークラインの観測はBowne(1952)が、自作のレーダを用いて落下速度の研究を行ったが、彼はまた、送信と受信を別のアンテナで行うレーダ(現在のバイスタティックレーダ)を用いて融解層の偏波観測を実施し、送受信の偏波を平行にした場合と、直交にした場合を比較して、融解粒子では直交成分が、上空の雪や下層の雨よりも大きな値を示すことを発見した(現在のLDR観測)。

閑話休題

T皆先生;コシダを語る。
http://members3.jcom.home.ne.jp/mag-hu/Tsunogai/400Mae/06fern.htm

カナダ:
国防省の命により、1943年にMSマーシャルが「暴風雨気象計画」の責任者となった。この研究の中でWパルマーらとともに粒径分布とレーダ反射強度因子Zを観測することにより、Zと降水強度Rを関連付けるZR関係式を見出した。
観測の初期から、連続する降水にはブライトバンドが出現し、一過性の降水には見ることができないことに研究者は関心を持った。ブライトバンドが0℃付近に出現することから、降水が雪として形成されブライトバンド高度で融解し雨となることが示唆された。Tibblesは航空機によってブライトバンド付近の降水粒子を直接観測している。(Marshall et al 1947)